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例え、君のために世界を失おうとも・・・
「さぁ、眼を開けて」
姉さんの声にゆっくりと眼をあける。
「・・・出来上がり?」
「えぇ、とっても綺麗よ。周助」
にっこりと笑いながら鏡を差し出す姉さん。
その鏡を受け取り、自分の顔を覗き込む。
そこに映し出されたのは
白い肌にうっすらピンクのチーク、
アイラインは薄めのオレンジ。
アイシャドウも引いてあり、
少し上を向かせた睫が目を大きく見せている。
ふっくらした唇にはベビーピンクのクリアジェリーが施され、
仕上げは腰までの栗色のロングヘアー。
世に言う――美少女――がそこにいた。
「すごいな・・・姉さん」
鏡を見ながらそう呟くと、姉さんは嬉しそうな顔をした。
「モデルがいいからよ、ほんと男にしておくのもったいないぐらい」
フフっとやわらかく笑う姉さんに、僕もつられて笑う。
それから、姉さんが用意してくれたオンナ物の服に身を包み、かわいらしいサマーバックを片手に履きなれないミュールに足を差し入れる。
準備は万端。
「さぁ、いってらっしゃい。周助」
"しっかりね"
姉さんに後押しされ、意を決して扉に手を掛ける。
「行ってくるよ・・・」
「いってらっしゃい」
ぱたん、という音とともに扉がしまる。
それを見て、僕は一歩また一歩と足を踏み出した。
そもそも、なぜ僕がこんな格好をしているか。
それは昨日の話。
いつものように部活で汗を流していた時のことだ。
練習を見に来ていた女の子たちの話を偶然耳にしたところから始まった。
『ねぇ、知ってる?』
『なに?』
ちょうど僕から一番近いフェンス越しにいた女の子が、隣の子に話し掛けていた。
どうせいつもの世間話だろうと気にもとめていなかった。
『氷帝の跡部くん、テニス留学するんだって噂だよ』
『えっ、うそっ!?』
聞きなれた名前が耳に入り、とっさにその子たちの方へ駆け寄っていた。
「ソレ本当!?」
『きゃぁ、不二先輩ッ!』
「ねぇ、それ本当なのっ!?」
『氷帝に通ってる友達から聞いたんですけど、氷帝でももっぱらの噂になってるって。しかも、
勇気のある娘が跡部くんに直接聞きに言ったけど笑っただけで何も言わなかったって・・・』
―――そんな事、聞いてない。
その事実を知った僕の頭は、まるで鈍器で殴られたようにぐらぐらと揺れた。
結局、その後は部活にも身が入らず手塚に怒られて家に帰された。
家に帰っても、今日の話が頭から離れず僕は自室に篭っていた。
すると姉さんが心配して様子を見に来てくれて、僕は今日の話を全て姉さんに話した。
「僕、何も聞いてないんだ。どうして・・・」
「周助、明日直接氷帝学園に行って景くんに聞いてきなさい。姉さんも協力してあげるから」
ぐっと、僕の手を握る姉さん。
「でも・・・」
「ちゃんと、話を聞いてこないと。なぜ景くんがそんな大事な事を周助に話さなかったのか、
ちゃんとその理由をきいてこないとダメよ」
"景くんは周助の婚約者でしょ。婚約者としてちゃんと話を聞いてきなさい"
「姉さん・・・」
そうして、僕は朝から姉さんに手伝ってもらって支度をした。
婚約者として氷帝学園に赴き、事の真相を知るために。
氷帝学園一の有名人―跡部景吾―の婚約者が実は男だ何て知られるとまずいと思って
こんな女装までして。
――――でも、なんで教えてくれなかったの・・・?
「・・・景吾・・・」
頭の中で何度も景吾に問い掛けた。
でも、答えは出ず。
やはり、本人にちゃんと確かめないと・・・。
そうこうしているうちに氷帝学園へとついた。
何度か来た事のある場所なので、そこは迷うことなく僕の足は講堂へと歩を進めた。
今日は氷帝学園恒例の全体集会の日。
生徒会長である景吾はもちろん舞台上にいる。
そして、全体集会の最後には生徒からの質問の時間が設けられている。
先生への質問でも、普段しゃべれない先輩への質問でも。
なんでも聞けるという特別な時間。
今日、その時に絶対話題に上がるだろう事柄はただ一つ。
『跡部景吾のテニス留学の噂』の真相だ。
それを聞くために僕はこうしてやってきたんだ。
「以上で、報告は終わりだ」
そっと講堂の扉を開けると予想通り景吾は舞台上にいた。
「では、これで最後だ。なにか質問のある生徒は手を上げろ」
景吾のその声に僕はすっと手を上げた。
「はい」
聞きなれない声に生徒はおろか教師の眼も集中する。
「き・・・君は誰だっ!?」
「部外者は立ち入り禁止だぞっ!?」
教師達のそんな声を無視し、僕はコツコツと景吾に近づいていった。
景吾は、僕の正体に気付いたのかとても驚いた表情をしていた。
それでも僕は足を止めることなく、景吾がいる舞台の前まで行く。
「テニス留学、するんだって?」
「しゅ・・・周?」
いつもは自信に満ちた景吾の瞳がかすかに揺れている。
生徒達は、興味津々といった風に静かに僕と景吾を見ていた。
「跡部の知り合いかっ!?」
「誰なんだ!?」
教師達のそんな声も耳に入らないほどに動揺している景吾に、僕はさらに言葉を続ける。
「景吾、ぼ・・・私はそんな事、一言も聞いてないよ?」
「・・・」
「婚約者には、言わなくてもいいと思っていたの?」
すっと眼を細め、睨むように景吾を見上げる。
僕のその発言に講堂内にどよめきが起きる。
そんなことも気にせず僕は景吾の眼を見続ける。
「違っ・・・」
「どう違うの?」
ずいっと詰め寄るように景吾に問いただす。
「私は景吾の何?」
「・・・」
ごくっと、生唾を飲み込む景吾。
そうとう動揺しているようだ。
「答えられないんだね、わかった。もういいよ」
"さよなら、景吾"
くるっと踵を返し、帰ろうとする僕。
その後ろでとんっと舞台から飛び降りる音が聞こえたと思った次の瞬間、僕は景吾の力強い腕に捕まっていた。
「待てよっ・・・!」
「離して」
じたばたともがいてはみても、びくともしない景吾の腕。
「オレの話を聞け」
「話す事なんてないんでしょっ!」
とっさに大声を上げた僕を腕の中で回転させ、自分の方へと向ける。
「違う・・・ただ、びっくりしただけだ」
"あんまりにも綺麗だったから・・・"
「・・・っ!?」
耳元でそう言われ、一瞬足から力が抜けた。
バランスを崩した僕をしっかり抱きかかえると、そのまま凛とした声でその場にいる全ての人に
聞こえるように言う。
「確かに、テニス留学の話があったのは事実だ。だけどオレはいかない、断ったんだ。
まだ、テニス部のヤツらと全国制覇成しえていないからな!」
"それに、お前もいるしな"
そう言った景吾の眼はいつものように自身に満ちていた。
「跡部部長〜!」
「跡部様ぁ!!」
そこかしこからそんな声が飛んでくる中、僕は景吾の腕からなんとか逃れると思いっきり景吾に
怒鳴った。
「ばかじゃないのっ!? せっかくの留学を断るなんて・・・っ!」
僕のその言葉に、しんっと静まりかえる講堂。
「せっかくの話を蹴るなんて・・・なに考えてるのさっ!」
「なんでお前が怒るんだ」
「なんでって・・・プロになるのが景吾の小さい時からの夢だったじゃないかっ!
その第一歩ともいえるテニス留学を断るなんて・・・ッ!!」
叫びながら、だんだんと視界がぼやけてくる。
困惑した景吾の顔がさらに僕の視界を歪ませる。
「僕のためとか言わないでよっ!? 僕は景吾の足枷になるつもりはないよっ!?」
「足枷だなんて思ってねえよ」
ぐいっと僕の頭を抱き、自分の胸に押し当てる。
「泣くなよ・・・」
「泣いてなんか・・・ッ!」
精一杯の強がりを言ってみても、景吾に勝てるはずもなく。
僕は景吾の背中に腕を回し、景吾にしがみつくようにして涙を隠す。
その間、景吾はぽんぽんと僕の頭を撫でてくれた。
「周、黙ってたことは謝る。すまなかった。でも、別にお前のことを軽んじたワケじゃないぞ。
ただ、オレはもともと行く気なんてなかったから・・・」
「どうして・・・?」
すっと顔を上げると、そこには少しばつの悪そうな顔をした景吾がいた。
そんな景吾と眼があった瞬間、景吾の口が動いた。
「・・・Even if it costs us the world for you,
I never want to lose you for the world.」
「えっ・・・」
流暢な英語に唖然とする生徒をよそに、景吾はすこし照れたように横を向いていた。
「オレの気持ちだ」
「景吾・・・」
2人の間に甘い空気が流れた瞬間。
「跡部部長・・・かっこいいですっ!」
「と、いうかよくそんな事言えますね。恥ずかしくないんですか」
そう声を上げたのは氷帝テニス部の2年、鳳くんと日吉くんだった。
「うっせーよ、日吉!」
ほんのりと顔を朱に染めた景吾がそう叫ぶ。
その2人の発言にテニス部のメンバーが続々と動き出す。
「長太郎。跡部のいったこと分かったのか?」
そういいながら、僕たちに近づいてくるのは宍戸くん。
「はい、宍戸さん」
鳳くんはそんな宍戸くんの横に嬉しそうに立つ。
「すっげぇな、チョタもピヨも!」
ピョンっと跳ねながら前に来るのは向日くん。
そしてその横には忍足くんと、芥川くんを抱きかかえた樺地くんもいた。
「自分が跡部の婚約者? えらい別嬪さんやねぇ」
そういいながら手を伸ばしてきた忍足くんから守るようにぐいっと自分の方に僕を引く景吾。
「触るな、忍足」
「なんやの、跡部。もしかして自分、独占欲強いん?」
景吾をからかうようにそういう忍足くんに、クスっと笑ってしまった。
「なんで、そこで笑うんだよ。周」
「いや、だって・・・」
クスクスと笑っている僕に、呆れた口調でそう言う景吾。
「そういや、機嫌直ったのかよ」
「うん、景吾の熱烈な愛の告白のおかげでね」
クスクスと笑う僕に、景吾もふっと笑った。
「なに?」
「いや、やっぱお前は笑ってるほうがイイわ」
"さて、仕事しねぇとな"
ぽんっと頭に手を乗せると、ぐしゃぐしゃっと頭を撫でる。
「わわっ、ちょっ・・・」
"なにするのサ"
と抗議の声を上げてみるものの、景吾は飄々とした様子で舞台に上がる。
「とりあえず、今日の全体集会はこれでおわりだ。解散」
そういうとまたすっと降りてきて僕の手を取る。
「帰ろうぜ、周」
「ちょっ・・・景吾っ!?」
たっと、走り出す景吾に僕はこけそうになりながらもついていく。
2人で手をつないで走ったのは実に何年ぶりかですごく楽しかった。
結局のところ、なんで話してくれなかったのかは分からなかったケド。
変わりにすごいこと聞けたからよしとしとこう。・・・と、思う。
「いっちまいやがった」
ぼそっと呟く岳人。
「跡部部長、この後の授業全部サボるつもりですかね・・・」
それに続いて鳳が脱力したように言う。
「跡部の恋人の"周ちゃん"ってスゴいなぁ。あの跡部をあそこまで虜にしとるなんて・・・」
忍足が楽しそうにそう言うと、宍戸が"あっ!"と声をあげた。
「どうしたんですか?」
その声にいち早く反応したのはやはり鳳。
「結局、アイツなんて言ってたんだ?」
宍戸のその発言に、まだその場にいた生徒達の視線が鳳と日吉に突き刺さる。
「えっとですね・・・」
その視線に気になるのか、鳳がすこし困惑した表情で笑う。
そんな鳳の横に、すっと出てきた日吉がすっと目を閉じ、息を吸う。
「Even if it costs us the world for you,
I never want to lose you for the world.」
跡部に負けず劣らずの流暢な発音で、先ほどのセリフを復唱する。
そして、跡部たちが走り去った方向をみながら張りのある声で日本語訳を言う。
「・・・という意味です」
日吉の声に、鳳以外のみんなは唖然としていた。
「・・・跡部だからこそいえるセリフだな」
感嘆した表情でそう言う宍戸の言葉に付け加えるのはもちろん鳳。
「というか、そこまであの"周さん"を愛してるんですよ」
"跡部部長、かっこイイです"
尊敬の眼差しで空を見上げる。
「もうっ・・・急に走るなんて・・」
肩で息をしながら文句をいう。
だけど、景吾は何も言わないままスタスタと歩いていく。
そんな景吾の横までいくと、景吾はすっと歩調を僕に合わせてくれる。
そんな景吾の優しさと、今自分がしてきたことを思うと少し笑いがこみ上げた。
「クスっ・・明日、きっと質問攻めなんだろうね」
"僕のことについて"
クスクスと笑う僕の方をちらっとみやる景吾。
そして肩に手を回すと、景吾はちゅっと軽く唇に自分のそれをかさねた。
「なっ・・・」
突然のことに咄嗟に反応できない僕に、景吾はクックと喉を鳴らして笑う。
周りの人がチラチラとこちらを見ているのを楽しんでいるようだ。
「もう・・・バカ・・・」
顔の体温が上がるのを感じながら、そう呟くと景吾は僕の手を取った。
「いいさ、別に。アレはオレの本心だし」
"それに、オレは別にお前とのことがバレたって構わねぇよ"
ちゅっと僕の手の甲にキスを落とす。
「景吾・・・」
「オレはお前がいいんだ。お前しかいらない。だから余計な気を回すな」
"わかったな"
景吾の青い瞳がそう言っている。
―――どうして、景吾はこうも僕の一番欲しい言葉をくれるのだろう
そんな景吾に、僕もお返しのキスを一つ。
景吾の唇に贈った。
「I love you,KIEGO.」
「Me too,SYU.」
景吾のあの言葉を、僕は一生忘れない。
そして僕も同じ気持ちだと、景吾に伝えようと思う。
例 え 君 の た め に 世 界 を 失 お う と も
Even if it costs us the world for you,
世 界 の た め に 君 を 失 い た く は な い
I never want to lose you for the world
Fin.
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