愛しい、と。
愛しい、と叫ぶ心を届けよう。



『戀』



学園中が一種のお祭りのように賑わう10月4日。
本日の主役であるはずの跡部は、回りの様子など我関せずに携帯のディスプレイを覗いては、
今日何度目かもわからないため息を吐いた。

「ダメだ・・・やっぱりわかんねぇ」

そう呟くと、パタンと携帯を閉じ机に突っ伏した。



彼の頭を悩ませているのは、一通のメール。
そのメールは、昨日の夜時計の長針と短針が上向きにぴったりと重なったその瞬間に送られてきたものだ。
差し出し人は、忍足。
部内一のくせ者と名高い彼から送られてきたバースデーメールは、漢字一文字『戀』だけだった。

理数クラスの彼よりも、遥かに文字に触れる機会が多いハズの文系クラスに席を
おいている跡部ですら、見たコトもないような複雑な漢字。



「なんて読むんだよ・・」



その漢字の意味と、相手の真意がわからない為、未だにメールの返事を返しあぐねていた。


かと言って、差出人である忍足に意味を問うなど、人一倍プライドの高い跡部には到底出来ず、
こうして一人でグルグルと頭を悩ませているのだ。



授業中も休み時間も費やし漢字の意味を調べてみたが、結局解答は見つけられなかった。
そうして気付くともうホームルームの時間だ。
テニス部部長を勤める跡部の責務には、部室の鍵管理も含まれている。
基本的にどのクラブも、部室の鍵を管理出来るのは部長・副部長のみ。
しかし、男子テニス部に副部長は存在しない。
よって必然的に跡部は毎日誰よりも先に部室へと向かう。

今日ももちろん例外ではない。
漢字の意味を調べるのを断念し、急いで帰り支度を済ませる。
そして担任教師の解散、という一言を聞くや否や、プレゼントを渡そうと引き留める女生徒達には
見向きもせず、さっさと教室を後にした。





部室の鍵をあけ、窓を開けて室内の換気を計ると、跡部は備え付けのノートパソコンを起動させる。
今日は榊監督が職員会議の為、クラブに顔を出せない。
なので部長である跡部が顧問の変わりに練習メニューを組み、部員に指示を出す。
ノートパソコンの中には、今までの練習メニューと各部員の詳細データが保存されているので、
それらを参考に今日のメニューを考えていく。


カタカタとパソコンで練習メニューを作っている間も、気になるのはやはりあの漢字。
ふと手を止め、側に置いてあったメモ用紙に漢字を書く。
昨日の夜から幾度となく見てきているので、迷うことなくすんなりと漢字をかけてしまう自分に
自然と笑みが零れる。

「まったく・・オレ様ともあろう者が、漢字一つに何やってんだか・・」

そう一人ごちながら、愛しそうに漢字を見やる。

「侑士のバーカ・・」

クスリと小さく笑いを漏らすと、パソコンへと視線を戻し、作業を再開する。




すると、外からガヤガヤと賑やかな声が聞こえてきた。

「・・〜だって言うんだぜ?! もうありえねぇよ」
「マジかよ。激ダサだぜ!」


大声で話しながらやってくるのは、岳人と宍戸だ。
声を発してはいないが、たぶん鳳と日吉も一緒だろう。


「ちぃース」
「うぃース」

岳人と宍戸がハモりながら部室に入ってくる。
続いて、予想通りに鳳と日吉が入ってくる。

「お疲れさまです、跡部さん」
「どうも」

準レギュラー以上には与えられている専用の個人ロッカーに荷物を入れ、それぞれ準備を始める。

「おう」

カタカタとキーボードを叩きながら軽く返事を返すと、岳人がいきなり声を上げた。

「あれ? 今日のメニュー、跡部が組んでんの?!」

明らかに嫌そうな顔でそう叫ぶ岳人に、跡部はキーボードを叩く手を止め、視線を岳人へと向ける。

「なんだよ、ずいぶん嫌そうじゃねぇか」

スッと目を細め、岳人を見やる。
その視線に、岳人はうっと言葉を詰まらせながらたじろいだ。

「オレ様の作ったメニューじゃ嫌だってのか?」

あーん?と不機嫌そうに言う跡部に、岳人はばつの悪そうな顔で小さく呟く。

「だって・・」

「跡部さんのメニューは監督のよりもキツいですからね」

黙って2人のやり取りを見ていた鳳が、微笑みを浮かべながらそう割って入った。

「そうか?」

言いながら、跡部は作っていた練習メニューを見やる。

「だいたい、温い練習なんざいくらやったって意味ないだろうが」

フン、と鼻を鳴らす跡部に岳人は小さく゛分かってるよ!゛と答えた。

「それで、今日のメニューはどんな・・」

言いながら、パソコンを覗き込もうとした鳳が動きを止める。

「どうした、鳳?」

練習メニューを作り終え、自分もそろそろ部活の準備をしようと席を立ち、ロッカーへと
向かっていた跡部が不振に思いそう声をかけると、鳳はにっこりと笑った。

「あれ、忍足先輩からですか?」

あれ、と指差された先には、あの漢字を書いたメモがあった。

「え・・? あっ! いや、それは・・ッ!」

咄嗟にメモを隠そうと手を延ばしたが、一瞬早く岳人の手に奪われた。

「何なに!? なんか面白いモンでも書いてあんの?!」

さっきまで小さくなってたヤツとは思えないくらいのテンションで、興味津々にメモを見やる。
そんな岳人の後ろから、ちゃっかりと宍戸も覗き込んでいた。


「何これ・・なんて読むの?」


眉間にしわを寄せ、見慣れない漢字に小首を傾げる岳人に、跡部ははぁ。と深い溜息を吐いた。

「・・それがわかればこんな苦労してねぇよ」

そう呟き、また黙々と着替えを始める跡部を横目に、宍戸が趣に鳳を見やる。

「なぁ、長太郎。お前、なんでコレが忍足からだって思ったんだ?」

宍戸のその一言に、跡部が勢いよく顔を上げた。

「鳳、何か知ってるのかッ?!」

いきなり跡部に詰め寄られ、鳳は一瞬身を後ろにひいた。



「いや、あの・・ただ単に忍足先輩こう言うの好きそうだな、と思っただけで・・」
「どういうコトだ?」

鳳の言葉に首を傾げる跡部。
そんな跡部に、鳳は人当たりの良さそうな笑みを返す。

「あれは『こい』と読むんです」
言いながら、鳳は部屋の隅に置いてあるホワイトボードに『戀』と書いた。
「こい・・・」
言葉を噛み締めるように呟く跡部を見やりながら、鳳は『戀』の横に『恋』と書いた。

「この『戀』は『恋』の旧字体なんです」
「それで、それの何が″忍足が好きそう″なんだ?」
意味がわからない、と言った風な跡部が問う。

「それはこの字の覚え方です」
「覚え方?」
着替えを済ませた宍戸が口を挟む。
そんな宍戸に″はい″と答えると、鳳はホワイトボードに″糸″″糸″″言″″心″と書いた。

「この戀は″糸″″糸″″言″″心″の4つに分けられるんです。それで、昔の人はこの字を覚えるのに・・」
「いとし、いとしと言う心」
それまで黙ってみんなのやり取りを見ていた日吉が、ぼそりと呟いた。
「え・・?」
なんだ、ソレ?と岳人が日吉を見やる。
小首を傾げ、身長差から上目使いに見上げる岳人に一瞬ドキリとしながらも、日吉は努めて冷静に続ける。
「戀の覚え方ですよ。昔の人達はそうして覚えたそうです」
そうだろ?と確認するように、日吉は鳳を見やった。
そんな日吉に、鳳はにっこりと笑いかけながら続ける。
「『いとし』を『糸し』と書き、『愛し』にかけてるんです。だから・・」
「愛(糸)し、愛(糸)しと言う心・・」
鳳の言葉を遮るように、跡部が小さく呟いた。
「そうです。相手を愛しいと、愛おしいと思う気持ちを『戀』と呼ぶのだと、
昔の人は子供たちに教えたそうですよ」
″的確な表現ですよね″と笑う鳳の言葉に、宍戸は鳳を、そして岳人は日吉を見やる。


――愛し、愛しと言う心。


「確かに的確な表現だな」
にっ、と笑う宍戸の肩に鳳がそっと手を添えた。
「好きな相手を想う気持ちは、いつの時代も同じですからね」
「そうだな」
見つめ合い、2人の世界に浸る鳳達を横目に日吉が岳人の手を取り歩きだす。
「バカップルはほっといて行きましょう、向日さん」
「え・・? あっ、ちょっ・・若!?」
半ば引きずられるように歩く岳人が、゛あっ゛と声を上げた。
そして、首だけを動かして跡部を見ると、早口に言葉を紡いだ。

「跡部! 侑士なら多分屋上にいると思うぞ!」
゛ココ来る前に、階段上がっていくの見たから!゛

言い終わるのとほぼ同時に、部室のドアがパタンと締まった。


「行かないんですか?」
閉まるドアをポカンと見ていた跡部に、鳳が静かに声をかける。
「きっと待ってますよ。跡部さんが来るのを」
その鳳の言葉に、跡部は弾かれたように部室を飛び出して行った。





愛しい、と。
愛しい、と叫ぶ心が愛おしい。
君を愛するオレのきもちを、この一言に乗せて届けよう。
君の元へ――・・・。





Fin.